妹の結婚式・・・などという式典
2004年5月8日朝、ジジババに起こされて朝食へ。
レストランに行くとジジに挨拶する若者が・・どうやら花婿さんらしい・・・
私達は初めて婿さんに会うわけだから、ジジもここで、紹介くらいし
してくれたらいいのに・・・ってかんじ。
バイキングなので、立ったり座ったり、子供はアレが欲しいとかコレはイヤとか、時間のかかること・・・
用意もあるので、あまり食べずで残念・・・
子供達に服を着せて、髪の毛を結んで・・・次はあたし〜って言う時に
ジジに呼ばれ、ババの着物の着付けのお手伝い・・・
しかし、ババの思うように着物が着れなくて、ヒステリーを起こし
あげく「もう、式には出ない!」発言まで飛び出し・・・
「適当に着て、ホテルの人に手直ししてもらったらいいやん」というと
ますます怒るし・・
精神を病んでいる人は、爆弾抱えているようで・・・
とにかく、私とジジはビビってましたね。ドタキャンだけは避けたいと。
なだめすかして、帯も一応整ったところで、私の用意・・・
って、後10分くらいしかなくて・・・
服も化粧もまだだってのに〜〜いつもドタバタ用意してますね、私。
カメラの電池もなくて、コンビニに走り・・・
10時、親族紹介
花婿の親族=母、叔母、妹家族三名
うちの親族=両親、うちの家族五名の計12名。
私を紹介する時、ジジが
「太りすぎて紹介するのが恥ずかしいですが〜」って
言ったのにはむかついたわっ!!いちいちそんな事言わなくても・・
紹介後、新郎新婦はリムジンに乗って、一足先に教会へ。
バスに乗り込んだ私達は、海が見えるルート回りで小高い山?の教会へ。
写真撮影後、新郎新婦の入場を待つ。
妹は、昔からチャペルウエディング希望で、20歳位の頃
当時付き合っていた彼が神戸の人で、その人と素敵な教会を見つけたからそこで式を挙げたい〜と言っていた。
多分、異人館が立ち並ぶ北野あたりの教会だと思う。
ま、両家公認だったその人とは、結ばれる事がなかったけれど
今回、横浜の山手の神戸とおんなじような場所で式を挙げると・・・
妹の念願がようやく(十何年越し??で)叶う!という感じだな〜
と思った。
教会の結婚式では父親と腕を組んでの入場、というのがある。
親父と腕組んで歩く・・・というのが私は「イヤやなぁ〜〜」
とずっと思っていた。
それを普通に(親父は緊張の面持ちで)入場してくる妹は、
凄いなぁ〜〜と思いました。
あんなに練習した賛美歌をソウマポナユはまともに歌わず・・・
歌う人少ないから、一生懸命歌いましたわよ、私。
牧師様のお説教を聞き、指輪の交換などなど・・・
多分、親父は泣いてましたね。涙、拭いてたよね??
私の時とは大違い。厄介払いできた〜〜☆って感じだったから。
ま、結婚後の私、旦那と暮らさず、実家だったので感動も寂しさも無かったでしょううけど。
無事に式も済、フラワーシャワーで祝って、ホテルに戻りました。
両家揃ってのお食事会は、新郎新婦が仕切り、私達は言われるがまま行動したっていうかんじ。
特別に相手の家族と話をスルわけでもなく、ただ、食ってました。
中華街のホテルなので、中華です。
最後、うちの親父の一言でお開きとなったのですが、その時のコメントは
「相手に思いやりを持って接するという事を心がけて
人生をやってきたのに、私の横におります者(ババ)は、
私の思いやりを感じた事がないと言います。
思いやりの難しさを感じています」
みたいな出だしで、数人しかいない私達に愚痴をこぼしつつ、〆てしまいました。
ええんかいな・・・
その後は、新郎が叔母さんと抱き合い泣き崩れていました。
新婦は一粒の涙もなかったというのにね。
妹は涙するダーリンにキュンとなっていたようですが、私は「あん?」
って感じでした。
ここまでの人生は大変だったのね?
でも、この‘おっそろすぃ〜’妹と結婚したっちゅーのが、私には大変なような?
頑張ってね、新郎さん〜
着替えを済ませ、中華街のホテルを後にし、フェリーで横浜の妹の家へ。
途中、パシフィコが見え、「ああ〜ここで子安さん、ライブしたん?」とか。
妹のマンションはバブル時、億ションでサッカー選手などの有名人が
住んでいたらしい。そこの、ゲストルーム(和室一部屋)がこの日の宿です。
部屋に着くと明日(ディズニーランド)の行動計画を立てたり、いろいろ・・
夕食は、新郎家族とは別行動で、妹を含む新婦家族でそばを食べました。
妹のマンションは、陸橋で‘横浜そ〇う’とつながっていて
そ〇うや周辺のビルへすぐ行けるので便利はいいが、
スウェットやサンダル履きとか、ラフ過ぎる服装では通りぬけをするだけでも恥ずかしいので、変な服では外へは出られないらしい・・・
確かに、高級ブランド店ばかり・・・都会暮らしも大変ね・・・
そんなこんなで、やっぱり今日も長い1日でした。
レストランに行くとジジに挨拶する若者が・・どうやら花婿さんらしい・・・
私達は初めて婿さんに会うわけだから、ジジもここで、紹介くらいし
してくれたらいいのに・・・ってかんじ。
バイキングなので、立ったり座ったり、子供はアレが欲しいとかコレはイヤとか、時間のかかること・・・
用意もあるので、あまり食べずで残念・・・
子供達に服を着せて、髪の毛を結んで・・・次はあたし〜って言う時に
ジジに呼ばれ、ババの着物の着付けのお手伝い・・・
しかし、ババの思うように着物が着れなくて、ヒステリーを起こし
あげく「もう、式には出ない!」発言まで飛び出し・・・
「適当に着て、ホテルの人に手直ししてもらったらいいやん」というと
ますます怒るし・・
精神を病んでいる人は、爆弾抱えているようで・・・
とにかく、私とジジはビビってましたね。ドタキャンだけは避けたいと。
なだめすかして、帯も一応整ったところで、私の用意・・・
って、後10分くらいしかなくて・・・
服も化粧もまだだってのに〜〜いつもドタバタ用意してますね、私。
カメラの電池もなくて、コンビニに走り・・・
10時、親族紹介
花婿の親族=母、叔母、妹家族三名
うちの親族=両親、うちの家族五名の計12名。
私を紹介する時、ジジが
「太りすぎて紹介するのが恥ずかしいですが〜」って
言ったのにはむかついたわっ!!いちいちそんな事言わなくても・・
紹介後、新郎新婦はリムジンに乗って、一足先に教会へ。
バスに乗り込んだ私達は、海が見えるルート回りで小高い山?の教会へ。
写真撮影後、新郎新婦の入場を待つ。
妹は、昔からチャペルウエディング希望で、20歳位の頃
当時付き合っていた彼が神戸の人で、その人と素敵な教会を見つけたからそこで式を挙げたい〜と言っていた。
多分、異人館が立ち並ぶ北野あたりの教会だと思う。
ま、両家公認だったその人とは、結ばれる事がなかったけれど
今回、横浜の山手の神戸とおんなじような場所で式を挙げると・・・
妹の念願がようやく(十何年越し??で)叶う!という感じだな〜
と思った。
教会の結婚式では父親と腕を組んでの入場、というのがある。
親父と腕組んで歩く・・・というのが私は「イヤやなぁ〜〜」
とずっと思っていた。
それを普通に(親父は緊張の面持ちで)入場してくる妹は、
凄いなぁ〜〜と思いました。
あんなに練習した賛美歌をソウマポナユはまともに歌わず・・・
歌う人少ないから、一生懸命歌いましたわよ、私。
牧師様のお説教を聞き、指輪の交換などなど・・・
多分、親父は泣いてましたね。涙、拭いてたよね??
私の時とは大違い。厄介払いできた〜〜☆って感じだったから。
ま、結婚後の私、旦那と暮らさず、実家だったので感動も寂しさも無かったでしょううけど。
無事に式も済、フラワーシャワーで祝って、ホテルに戻りました。
両家揃ってのお食事会は、新郎新婦が仕切り、私達は言われるがまま行動したっていうかんじ。
特別に相手の家族と話をスルわけでもなく、ただ、食ってました。
中華街のホテルなので、中華です。
最後、うちの親父の一言でお開きとなったのですが、その時のコメントは
「相手に思いやりを持って接するという事を心がけて
人生をやってきたのに、私の横におります者(ババ)は、
私の思いやりを感じた事がないと言います。
思いやりの難しさを感じています」
みたいな出だしで、数人しかいない私達に愚痴をこぼしつつ、〆てしまいました。
ええんかいな・・・
その後は、新郎が叔母さんと抱き合い泣き崩れていました。
新婦は一粒の涙もなかったというのにね。
妹は涙するダーリンにキュンとなっていたようですが、私は「あん?」
って感じでした。
ここまでの人生は大変だったのね?
でも、この‘おっそろすぃ〜’妹と結婚したっちゅーのが、私には大変なような?
頑張ってね、新郎さん〜
着替えを済ませ、中華街のホテルを後にし、フェリーで横浜の妹の家へ。
途中、パシフィコが見え、「ああ〜ここで子安さん、ライブしたん?」とか。
妹のマンションはバブル時、億ションでサッカー選手などの有名人が
住んでいたらしい。そこの、ゲストルーム(和室一部屋)がこの日の宿です。
部屋に着くと明日(ディズニーランド)の行動計画を立てたり、いろいろ・・
夕食は、新郎家族とは別行動で、妹を含む新婦家族でそばを食べました。
妹のマンションは、陸橋で‘横浜そ〇う’とつながっていて
そ〇うや周辺のビルへすぐ行けるので便利はいいが、
スウェットやサンダル履きとか、ラフ過ぎる服装では通りぬけをするだけでも恥ずかしいので、変な服では外へは出られないらしい・・・
確かに、高級ブランド店ばかり・・・都会暮らしも大変ね・・・
そんなこんなで、やっぱり今日も長い1日でした。
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