子供達の歌声・・・などというもの
2004年1月16日学校の震災式典。
震災後、早9年になります。毎年学校で行われる式典ですが、
保護者の参加はいつもわずかです。これはちょっと残念なことです。
去年はTV局が取材に来てて、ニュースステーションで放映されたりしたけれど、今年は無しで、淡々と進められました。
私は震災に遭ったわけでもなく、思い入れはないですが、毎年式典に参加するのは子供達の歌う歌「しあわせ運べるように」が聴きたいからです。
震災後、すぐに作られたこの歌は神戸の小学校の先生が作られた曲。
私がこの曲を知ったのは2年前のこの式典で。
最近では、新聞にも取り上げられていて、知名度も少しは上がったかもしれません。
初めて聴いた時は松田優作じゃないけれど「なんじゃ〜〜こりゃ〜〜」状態。
飾らない率直な歌詞を乗せた調べが直球で耳に入って来る。心を揺さぶる。泣きました。
子供が歌うと更に泣けます・・・無垢な歌声って感じで。
ということで、曲を聴き、心洗濯をしました。
家に戻り、家事をしながら、ナユを何度も起こしました。
けれど、全然起きなくて、放っておいたら13時。
私を呼ぶ声が聞こえたので、行って見ると「起きられへん〜〜」と弱弱しく言う。
なんでやろ?と熱を測って見ると38度。
もう病院もやってないし・・・寝かせるしかなくて、
本人もしんどいみたいで1日ソファで寝ていました。
夕方、幼稚園→預かり保育→サッカーをしているマポを迎えに行く。
人数が少なかったので、キックの練習とかそんな事をやっていた。
でも、へなへなボールしか蹴る事ができなかったり、方向が定まってなかったりで、こんなんで試合できるのか??とふと、不安に思えました。
今日は私の誕生日でした。35歳です〜。人生の折り返し地点のような気がしてなりません。
子供達はおめでとうの一言だって言わないのに
「ケーキケーキ」という。
誰の誕生日やと思っているのやら?
貧乏なんでそんなもの買えないよ。昨日寿司も食っているしさ。
幼稚園から帰って来たのも遅かったので、買物も行けず、残り物でやり過ごした寂しい晩餐でした。
<<子安めぐり>>
ムーミン#9#10…姿が見えなくなったニンニの話。今日のスナフキンは一言しかセリフがなかったよ〜〜
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