実家での生活・・・などというもの
2003年4月2日3/28
午前、玄関の掃除。割れたガラスは予想以上に飛散り、
暗がりの中での掃除ではちゃんと割れたガラスの始末は出来ていなかったようで。
そして、郵便局へライブチケットの振りこみ。
午後、15時の高速バスに乗るため、出掛ける。駅に向かう途中
ナユが転んで歯根から血が出る。前3本を打ちつけたらしく、号泣。
ちょうど旦那に「ちゃんと手を繋いでやらないとこけて怪我するで」
と私に忠告したすぐ後だったので、旦那にイヤな顔をされる。
15時10分発のバスに乗り込み、子供3人を率いての帰省。
旦那に見送られ、4時間半の長旅が始まった。上2人は
騒ぐ事はしないけど、車酔いはしないか?トイレは大丈夫か?
とかは気になる事項。
問題はナユ・・・乗車したとたん、もうわめき出し、
お菓子で機嫌を取ってぐずったらまたお菓子、というのを繰り返していた。
何せ、運転手さんの真後ろの席なんで、運転に支障をきたしたら大変。
わりと順調に行った3時間。1時間くらい寝てくれたし。残りは
「お家に帰りたい〜〜」コールで暴れる。疲れました。
3/29・・・
午前中、裏山の動物園へ行く。動物園と言ってもヤギやウサギや
鹿とかポニーとかがいるくらい。夏はカンガルーやプレーリードッグ
カピパラ?とかいるけど、寒いから避難させているのかも。
餌に白菜を持って行ったけど、食いついてくれたのはヤギだけでした。
午後、隣の家や本家に挨拶まわり。そして、病院にいる祖母の見舞い。
今回帰省したのは祖母の痴呆が激しくなり、様子が見たかったから。
半年前はなんとか歩いていたものの、最近はベッドに寝たきり。
前は私の事がわからなかったけど、今回は私の名前を呼んでくれた。
記憶の片隅にまだ私が残っていたようだ。
でも、祖母の目はうるうるした感じでちっちゃくなって、
入れ歯もはずしたままで歯が全く無くて、なんか赤ちゃんみたいな感じだった。
その後、私や子供達に特別反応は見せなかったものの、
自分でご飯(全部ドロドロで、離乳食の初期段階くらいのもの)
をなんとかスプーンで食べていた。
5時半に病院に行ったのだけど、祖母のつけてたTVではガンダム
やってて、心の中で「ガンダムなんか見てないやろ?TVカードがもったいないやん?」
とか思った。
私は祖母の食事姿を見ていたので、SEEDの総集編は
ガンダムSEED初心者の私にとっては、あらすじをたどりたいので
見たかった。でも子供達には、なんとか暇つぶしはなったようだ。
語りがレボレボさんとも気づかず、私は弱ってしまった祖母をずっと眺めていました。
3/30・・・
午前中、ソウはババに漢字の特訓を受けていた。私も子供の頃
やらされて、とてもイヤだった。逃げ出した時もあったけど
連れ戻されて懲らしめられた記憶がよみがえる。
私はのんびりしていました。
午後、「ゴビウス」という地域周辺の淡水魚の展示がしてある
小さな水族館へ行きました。サンショウウオとかナマズとかそんな感じの。
小さな子供達にはちょうど良いです。
3/31・・・
午前中、ソウはまたババと漢字の特訓をしていた。
下の子達が邪魔するので裏山に連れて行き、私は竹林の中に入り
「カズラ」を探してきてリースを編んだりして遊んだ。
竹林って、なんか怖い。サラサラと歯のすれる音は良いのだけど、
ときどき竹が風でぶつかって「コツン」とか「カーン」とか音がする。
そんな時は「誰かいるの?」ってドキドキした。桜がちらほら咲いていた。
午後、母方の祖母の家を訪ねる。元気で暮らしている様子だったけど
広大な家に一人で住んでいるので、この祖母もまた可哀想に思える。
敷地内は荒れ果てていて、樹齢30年や50年くらいの大木が
たくさん植わっているのだけど、それらの木を適当に剪定したようで
太枝があちこちに、それもたくさん散乱してるし、
ここもお化けが出そうで怖い。
畑の作物もブロッコリーや白菜もたくさんトウが立っていて
ばあさん一人じゃ食べきれないだろうけど、私がいたら全部
食べ尽くしているだろうな・・ともったいない気分。
とにかく過疎というものはさびしいものだな、と思う。
帰りに「ピザを頼もう」と言う事になり、ピザ屋(?)さんへ。
田舎なので宅配ピザなんて無い。たまたま祖母宅から5分位の所に
持ちかえりOKのピザ屋があるので頼み、出来あがるまでその店から
5分位の所にある飛行場に行き、飛行機を眺めたりしていた。
そしてこの日も病院に行って、祖母の食事の様子を見に行く。
でも、機嫌が悪くしゃべってはくれなくて、ご飯もほとんど残した。
4/1・・・
2日前に母方の親戚に不幸があって、私はその親戚の事について
親に聞く。が、どういう親戚か、説明聞いても解らなかった。
すると親父が一冊の冊子を持ち出してきて、母方の祖父が
亡くなる前に書物(日記?)を書いていて、それをまとめた冊子
だったのだけど、けっこう面白い。
家系図を参考にしながら読むと、解りやすくてその冊子を読むのに
没頭した午前中だった。
午後は畑の草取りをしたりしていたのだけど、親父と子供達を連れ
裏山に行き、カズラでリース作りをする。10個くらい作った。
本当は松ぼっくりとか飾りをつけてドアや壁にリースを
飾りたいけど旦那はこんなの嫌いだし・・・
どうしようか迷ったけど、家に持って帰る事にした。
カズラで工作したい。カゴとか作ってみたい。
今はリース作るので精一杯だけど。
祖母の病室に飾ってもらおうと、一つ小さいリースを作って
松ぼっくりを付けて病院に持っていった。
祖母は何も言わなかったけど、嬉しかったのか、前日と違い
いろいろ思ったことを話してくれた。私は「明日帰る」と言うと
初めておばあちゃんらしい言葉を私に言ってくれた。
もう胸がつまるつまる。
今度帰るのは夏。それまで元気にいて欲しいと思うが、
入院費などを支払っている私の親は、そうは思っていないらしい・・・
さびしいものだな・・・とまた思う。
4/2・・・
家に戻る。高速バスの時間は9時5分。バス停に行くのに
車で30分かかるので、朝からばたばた。
荷物もとても多くなった。カズラはもちろん、花の球根や苗を土ごと
持って帰るのだもん。
帰りのバスはナユが2時間近く寝てくれたので助かった。
バスの運転手さんは、行きのバスと同じ運転手さんだったので、
きっと「またお騒がせ家族が乗ってきた」と思ったことでしょう。
帰りは早い気がした。13時半無事到着。荷物をたくさん持って
家までたどり着けるかが問題で、旦那の仕事場に行って、
一つ荷物を預けようか?と思ったほど。
電車に乗る前に、恥ずかしげも無くその辺で荷物の整理をし、
電車に乗り、坂を3、40分くらいかけて登り、家に着いたときは
本当にほっとしました。
驚いたことに実家ではちらほら咲きだった桜が、こっちでは満開。
ちょっと暑く感じるし、速攻薄手の服に着替えました。
やっぱり我が家が一番。
TVも見れるし(実家はNHK以外見ない)、PCできるし。
今日は「NARUTOスペシャル」で、初めてまともにナルトを見ました。
来週からテニプリの後です。今まで18時台の時間枠だったのが
不思議なくらいですね。面白そうです。
午前、玄関の掃除。割れたガラスは予想以上に飛散り、
暗がりの中での掃除ではちゃんと割れたガラスの始末は出来ていなかったようで。
そして、郵便局へライブチケットの振りこみ。
午後、15時の高速バスに乗るため、出掛ける。駅に向かう途中
ナユが転んで歯根から血が出る。前3本を打ちつけたらしく、号泣。
ちょうど旦那に「ちゃんと手を繋いでやらないとこけて怪我するで」
と私に忠告したすぐ後だったので、旦那にイヤな顔をされる。
15時10分発のバスに乗り込み、子供3人を率いての帰省。
旦那に見送られ、4時間半の長旅が始まった。上2人は
騒ぐ事はしないけど、車酔いはしないか?トイレは大丈夫か?
とかは気になる事項。
問題はナユ・・・乗車したとたん、もうわめき出し、
お菓子で機嫌を取ってぐずったらまたお菓子、というのを繰り返していた。
何せ、運転手さんの真後ろの席なんで、運転に支障をきたしたら大変。
わりと順調に行った3時間。1時間くらい寝てくれたし。残りは
「お家に帰りたい〜〜」コールで暴れる。疲れました。
3/29・・・
午前中、裏山の動物園へ行く。動物園と言ってもヤギやウサギや
鹿とかポニーとかがいるくらい。夏はカンガルーやプレーリードッグ
カピパラ?とかいるけど、寒いから避難させているのかも。
餌に白菜を持って行ったけど、食いついてくれたのはヤギだけでした。
午後、隣の家や本家に挨拶まわり。そして、病院にいる祖母の見舞い。
今回帰省したのは祖母の痴呆が激しくなり、様子が見たかったから。
半年前はなんとか歩いていたものの、最近はベッドに寝たきり。
前は私の事がわからなかったけど、今回は私の名前を呼んでくれた。
記憶の片隅にまだ私が残っていたようだ。
でも、祖母の目はうるうるした感じでちっちゃくなって、
入れ歯もはずしたままで歯が全く無くて、なんか赤ちゃんみたいな感じだった。
その後、私や子供達に特別反応は見せなかったものの、
自分でご飯(全部ドロドロで、離乳食の初期段階くらいのもの)
をなんとかスプーンで食べていた。
5時半に病院に行ったのだけど、祖母のつけてたTVではガンダム
やってて、心の中で「ガンダムなんか見てないやろ?TVカードがもったいないやん?」
とか思った。
私は祖母の食事姿を見ていたので、SEEDの総集編は
ガンダムSEED初心者の私にとっては、あらすじをたどりたいので
見たかった。でも子供達には、なんとか暇つぶしはなったようだ。
語りがレボレボさんとも気づかず、私は弱ってしまった祖母をずっと眺めていました。
3/30・・・
午前中、ソウはババに漢字の特訓を受けていた。私も子供の頃
やらされて、とてもイヤだった。逃げ出した時もあったけど
連れ戻されて懲らしめられた記憶がよみがえる。
私はのんびりしていました。
午後、「ゴビウス」という地域周辺の淡水魚の展示がしてある
小さな水族館へ行きました。サンショウウオとかナマズとかそんな感じの。
小さな子供達にはちょうど良いです。
3/31・・・
午前中、ソウはまたババと漢字の特訓をしていた。
下の子達が邪魔するので裏山に連れて行き、私は竹林の中に入り
「カズラ」を探してきてリースを編んだりして遊んだ。
竹林って、なんか怖い。サラサラと歯のすれる音は良いのだけど、
ときどき竹が風でぶつかって「コツン」とか「カーン」とか音がする。
そんな時は「誰かいるの?」ってドキドキした。桜がちらほら咲いていた。
午後、母方の祖母の家を訪ねる。元気で暮らしている様子だったけど
広大な家に一人で住んでいるので、この祖母もまた可哀想に思える。
敷地内は荒れ果てていて、樹齢30年や50年くらいの大木が
たくさん植わっているのだけど、それらの木を適当に剪定したようで
太枝があちこちに、それもたくさん散乱してるし、
ここもお化けが出そうで怖い。
畑の作物もブロッコリーや白菜もたくさんトウが立っていて
ばあさん一人じゃ食べきれないだろうけど、私がいたら全部
食べ尽くしているだろうな・・ともったいない気分。
とにかく過疎というものはさびしいものだな、と思う。
帰りに「ピザを頼もう」と言う事になり、ピザ屋(?)さんへ。
田舎なので宅配ピザなんて無い。たまたま祖母宅から5分位の所に
持ちかえりOKのピザ屋があるので頼み、出来あがるまでその店から
5分位の所にある飛行場に行き、飛行機を眺めたりしていた。
そしてこの日も病院に行って、祖母の食事の様子を見に行く。
でも、機嫌が悪くしゃべってはくれなくて、ご飯もほとんど残した。
4/1・・・
2日前に母方の親戚に不幸があって、私はその親戚の事について
親に聞く。が、どういう親戚か、説明聞いても解らなかった。
すると親父が一冊の冊子を持ち出してきて、母方の祖父が
亡くなる前に書物(日記?)を書いていて、それをまとめた冊子
だったのだけど、けっこう面白い。
家系図を参考にしながら読むと、解りやすくてその冊子を読むのに
没頭した午前中だった。
午後は畑の草取りをしたりしていたのだけど、親父と子供達を連れ
裏山に行き、カズラでリース作りをする。10個くらい作った。
本当は松ぼっくりとか飾りをつけてドアや壁にリースを
飾りたいけど旦那はこんなの嫌いだし・・・
どうしようか迷ったけど、家に持って帰る事にした。
カズラで工作したい。カゴとか作ってみたい。
今はリース作るので精一杯だけど。
祖母の病室に飾ってもらおうと、一つ小さいリースを作って
松ぼっくりを付けて病院に持っていった。
祖母は何も言わなかったけど、嬉しかったのか、前日と違い
いろいろ思ったことを話してくれた。私は「明日帰る」と言うと
初めておばあちゃんらしい言葉を私に言ってくれた。
もう胸がつまるつまる。
今度帰るのは夏。それまで元気にいて欲しいと思うが、
入院費などを支払っている私の親は、そうは思っていないらしい・・・
さびしいものだな・・・とまた思う。
4/2・・・
家に戻る。高速バスの時間は9時5分。バス停に行くのに
車で30分かかるので、朝からばたばた。
荷物もとても多くなった。カズラはもちろん、花の球根や苗を土ごと
持って帰るのだもん。
帰りのバスはナユが2時間近く寝てくれたので助かった。
バスの運転手さんは、行きのバスと同じ運転手さんだったので、
きっと「またお騒がせ家族が乗ってきた」と思ったことでしょう。
帰りは早い気がした。13時半無事到着。荷物をたくさん持って
家までたどり着けるかが問題で、旦那の仕事場に行って、
一つ荷物を預けようか?と思ったほど。
電車に乗る前に、恥ずかしげも無くその辺で荷物の整理をし、
電車に乗り、坂を3、40分くらいかけて登り、家に着いたときは
本当にほっとしました。
驚いたことに実家ではちらほら咲きだった桜が、こっちでは満開。
ちょっと暑く感じるし、速攻薄手の服に着替えました。
やっぱり我が家が一番。
TVも見れるし(実家はNHK以外見ない)、PCできるし。
今日は「NARUTOスペシャル」で、初めてまともにナルトを見ました。
来週からテニプリの後です。今まで18時台の時間枠だったのが
不思議なくらいですね。面白そうです。
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